冒頭。
津波による瓦礫の中に立ち、手にした玉蜀黍の種を見つめ、「がんばれ」と日本語を発した。
その24年前、1987年。
大学病院に勤務していた医師の島田航一郎は、同僚の青木克彦とともに、ケニアにある熱帯医学研究所に派遣された。
島田は3日も遅刻したが、腕が良く、所長の村上雅之は彼を気に入った。
標高2000メートルにある研究所は、気候がいい。
地元の人々が診察や手当てに来る。
「大丈夫、大丈夫」と、航一郎は明るく患者を励ました。
航一郎は、研究や治療に充実した日々を送っていた。
ある日、ロキチョキオの赤十字病院から、応援の要請があった。
1ヶ月の約束で、航一郎と青木が参加した。
そこは、戦場で負傷した者たちが運ばれてくるところだ。
そこには、大勢の傷ついた少年兵も運ばれてきた。
少年たちは、麻薬を打たれて恐怖心をなくした上で、戦場に駆り出される。
中には、地雷原を歩かされる子もいた。
航一郎たちは、到着初日から4人の切断手術を行った。
1ヶ月後、研究所に戻った航一郎は、以前の明るさが失せていた。
所長の村上は、航一郎をマサイランドに連れ出した。
マサイ族の人々と過ごすうちに、航一郎は自分を取り戻した。
翌朝、夜明け前に航一郎は、一人「がんばれ ! がんばれ ! 」と叫び続けた。
航一郎は、ロキチョキオの病院に戻った。
そこに、日本人看護師の草野和歌子が赴任してきた。
相変わらず、大勢の負傷した少年が運び込まれてくる。
その中に、英語が話せるンドゥングという名の少年がいた。
ケニア内戦の過酷さが、伝わってくる。
長い。
カットしてもいいところが、たくさんある。