captainsunday’s blog

ネタバレしないように、思い出に残っている映画を、簡単に解説しています。

セブン・イヤーズ・イン・チベット

ブラッドピット主演、アメリカの映画である。

 

1939年、オーストリアの登山家ハインリッヒ・ヒラーは、身重の妻を残して、仲間と共にヒマラヤへ旅立った。

 

最高峰へ登山中、雪崩が発生し、一行は下山を余儀なくされた。

 

インドへ下山すると、第二次世界大戦が始まっていた。

 

ドイツ人と間違えられた彼らは、イギリスの捕虜となり、強制収容所に入れられた。

 

ハインリッヒは、故郷に残した妻に手紙を書くが、届いた返事は離婚届だった。

 

ハインリッヒは、1人で何度も脱走を試みるが、尽く失敗した。

 

その度に警備が強化され、脱獄を企てている他の者達からは、批判される。

 

1942年、仲間達と共に、ついに脱獄に成功した。

 

自分勝手な性格のハインリッヒは、すぐに仲間と別れて、1人で逃げた。

 

彼は、チベットを目指した。

 

途中で、共に脱走した仲間のペーター・アウフシュタイナーと、再開した。

 

その後、苦労しながら、何とかチベットの首都ラサにたどり着く。

 

チベットは外国人を排除していたが、何とか紛れ込んだ。

 

彼らは優しいチベット人の世話になり、住むところ、食事、衣服が与えられた。

 

そこで暮らしている間に、彼らは現地の人々と、打ち解けていく。

 

ペーターは、最初に洋服を仕立ててくれた女性と恋仲になり、結婚した。

 

第二次世界大戦が終わり、ハインリッヒは帰国の準備に掛かった。

 

すると、オーストリアから手紙が来た。

 

彼が登山中に生まれた息子からで、彼を拒絶する内容だった。

 

彼は、帰国を止めた。

 

ある日、ダライ・ラマ14世の母が、ハインリッヒに会いたいと手紙をよこしてきた。

 

ハインリッヒは、彼女に会いに行き、ダライ・ラマとの面会が実現した。

 

ダライ・ラマは、好奇心いっぱいの少年だった。

 

彼は、ハインリッヒの話に、大いに興味があった。

 

ハインリッヒとの会話は、ダライ・ラマにとって、西洋文明に触れることが出来る唯一の機会だ。

 

ハインリッヒは、ダライ・ラマの要請で、映画館の建設に着手した。

 

平和に暮らすチベットの人々に、中国共産党の侵略の魔の手が伸びてきた。

 

この映画は、実話に基づいている。

 

中共人民解放軍によるチベット人の虐殺が、少しだけ描かれている。

 

ダライ・ラマの母役は、ダライ・ラマの妹が演じている。

 

中共によるチベット人の弾圧は、いまだに続いているのだ。