エベレスト登頂は、長らくプロの登山家だけのものだった。
1992年、ロブ・ホールが商業登山の道を開拓した。
ロブ・ホールが設立た「アドベンチャー・コンサルタンツ」は、4年間で19人の顧客の登頂を成功させた。
競合する会社が20以上も設立され、大勢の一般人が、エベレスト登頂を目指すようになった。
1996年。
ロブは、AC ( アドベンチャー・コンサルタンツ ) 隊を率いる隊長として、妊娠中の妻を置いてエベレストに向かった。
顧客のベック・サンダースは、妻の反対を押し切って参加した。
郵便局員であり、大工仕事などもしながら金を貯めたダグ・ハンセンは、二度目の挑戦だ。
前回は、登頂間近で泣く泣く断念したのだった。
日本人女性、難波康子は七大陸最高峰のうち六つの登頂に成功し、エベレストが七つ目だ。
3月30日、ベースキャンプ。
5月10日を登頂予定日として、40日間、薄い空気に体を慣らしながら訓練をする。
ベースキャンプは、大勢がごった返していて、ゴミも散らかっていた。
さらに経験が浅そうな人を見かけ、ロブは心配になる。
そこで、友人でありマウンテン・マッドネス隊の隊長、スコット・フィッシャーと出会った。
低酸素での訓練は、人が多すぎて、思うように進まない。
そして、どの隊もみな、5月10日の登頂を予定していた。
ロブは、日程の調整を持ちかけたが、話は決裂した。
スコットはロブの申し出を受け入れ、2隊は協力して登ることになった。
この作品は、1996年に実際に起きた大遭難事故を描いたものだ。
過酷な状況が、見事に描かれている。