captainsunday’s blog

ネタバレしないように、思い出に残っている映画を、簡単に解説しています。

アフター・アース

アメリカのSF映画である。

 

人類は地球環境を破壊してしまい、惑星「ノヴァ・プライム」に移住せざるを得なくなった。

 

ノヴァには先住民がいて、人類に対抗するため「アーサ」という生物を創り出した。

 

アーサは、視覚はないが恐怖を察知し、人類のみを襲うように創られていた。

 

1000年後、人類とアーサとの戦いは続いていた。

 

アーサと戦うレンジャー部隊の最高司令官サイファは、恐怖心を克服する術を体得していて、多くのアーサを退治していた。

 

サフィアの息子キタイは、13歳、レンジャー候補生だ。

 

成績は優秀だが、姉が自分の身代わりになってアーサに殺されたのを見たのが、トラウマになっていた。

 

久々に帰還したサイファは、次の作戦にキタイを同行させる。

 

二人は、数名の隊員と捕獲したアーサを積んで、宇宙へ旅立った。

 

途中、宇宙嵐に遭い、1000年前に人類が捨てた地球に不時着した。

 

サイファ親子以外に生存者はなく、救難信号を送る発信器は、遠くに墜落した船尾に搭載されていた。

 

ナビゲーションによると、約100キロ後方だ。

 

サイファは足を骨折して歩けない。

 

キタイ一人で、発信器を探し出し救難信号を送るために出発した。

 

凶暴に進化した動物に襲撃されたり、ヒルに血を吸われたり、呼吸に必要な薬を半分なくしたり、、、。

 

次々に困難が襲ってくる。

 

積んでいたアーサも生きていた。

 

 

ストーリーは単純で、ハラハラドキドキ、楽しめる作品である。

 

ただ、SFの場合、どうしても設定の説明が必要になる。

 

何年後であってもかまわないが、環境、時代背景、社会状況など、台詞ではなく映像で明らかにしなければならない。

 

それが苦労するところだ。

 

この作品は、うまくこなしている。

 

さて、サイファ役はウィル・スミス、息子のキタイは実の息子シュイデン・スミスが演じている。

 

それも、見所の一つか。

五月の恋

台湾の映画である。

 

台湾の超人気ロックグループ「メイデイ」のギタリスト、シートウ。

 

主人公アレイはシートウの弟で、毎日たくさん送られてくるファンからのメールを管理していた。

 

ある日、シュアンと名乗る女の子のメールに、自分はボーカリストだと偽って返事を書く。

 

シュアンは京劇の団員で、ハルピンに住んでいるが、ハルピンのことは黙っていた。

 

京劇の台湾公演が決まり、二人は会う約束をした。

 

シュアンが、「五月の雪」と呼ばれている花を見たいというので、アレイは連れて行くと約束したのだ。

 

当然、互いの嘘がばれた。

 

それでも、親密になっていく。

 

台湾公演が終わり帰途につく彼女に、アレイは「二度と会わない」と心にもないことを言ってしまう。

 

その後アレンは何度もメールを出すが、返事はない。

 

暫くして「メイデイ」の、中国公演ツアーが決まった。

 

その中に、ハルピンが含まれている。

 

シュアンは、ハルピンにある学校で、京劇の練習を続けていた。

 

アレイは、何とか会いたいのだが、学校には入れない。

 

わりと、淡々とした展開だ。

 

純粋な恋愛映画は、心を洗われる。

 

それだけ、自分が汚れているのかもしれない。

 

ラストは、ちょっとハラハラする。

 

 

 

ベジャール・バレエ・リュミエール

スイスの映画である。

 

世界的な振り付け師、モーリス・ベジャールを主人公とするドキュメンタリーだ。

 

2001年2月。

 

ベジャール・バレエ団が、新作「リュミエール」の講演を発表した。

 

振り付け師と、それに応えるバレエダンサー達の喜びと葛藤が、描かれている。

 

一通り出来上がったところで、観客の前で、衣装を着けない試演が行なわれた。

 

これを分析して、更に工夫が凝らされていく。

 

本番は、リヨンのフルヴェール・ローマ円形劇場だ。

 

露天の劇場では、天候との戦いもある。

 

雨の中のリハーサルで、見事に演じるダンサー達に、プロの魂が見える。

 

そして、本番だ。

 

ドキュメンタリーは、超一流の人に限る。

 

熱い情熱が、ダンサー達を完璧に仕上げていく様は、ぞくぞくする。

 

演技ではなく、本物が、ここでは観られるのだ。

 

 

Mr. レデイ Mr. マダム

フランス・イタリア合作のコメディ映画である。

 

オカマクラブのオーナー、レナートは、パートナーのザザことアルバンと暮らしている。

 

ある日、レナートがかつて犯した一度の過ちで出来た一人息子・ローランが結婚の報告に来た。

 

実の母のように彼を育てたアルバンは、結婚に反対だ。

 

しかも、悪いことに婚約者の父親シャリエ氏は、道徳に厳しい政党に所属する政治家だった。

 

シャリエ氏の所属する政党の党首が、ある日、未成年の黒人娼婦のところで腹上死する。

 

彼は、もみ消しに必死だ。

 

そこで、娘の結婚式を盛大に挙げてマスコミの目をそらす事を、思いついた。

 

早速、ローランの両親に会いに行くという。

 

レナートは、まともな家庭を装うために、ケバケバの部屋の内装を一新する。

 

さらに、ローランの実の母親・シモーヌに事情を話し、来てもらうことにした。

 

そして、マスコミの追跡を振り切って、シャリエ夫妻が訪問。

 

あろう事か、女装したアルバンが入ってきて、母親だと自己紹介する。

 

しかし、バレない。

 

ところがそこに、シモーヌが現われ、さらに、オカマの従業員達も結婚の祝福に入ってきてと、大騒ぎになる。

 

フランスの映画らしいウイットの効いた、愉快な作品だ。

 

ピンクパンサークルーゾー警部のノリである。

 

気楽に観ることが出来る映画だ。

 

 

 

 

60セカンズ

ニコラス・ケイジ主演、アメリカの映画である。

 

主人公メンフィスは、車泥棒から足を洗い、真面目に暮らしていた。

 

そこへかつての仲間がやってきて、メンフィスの弟が車泥棒に失敗して命が危ないと告げる。

 

メンフィスは、ボス・カリートリーの所に話を付けに行く。

 

そこで、弟の命と引き替えに50台の高級車を盗むことになった。

 

期限は、4日後だ。

 

メンフィスは、泥棒仲間を訪ね歩くが、いけるのは三人だけだ。

 

そこへ弟たちが合流して、作戦のめどが立った。

 

警察の捜査が追いつかないように、彼らは。一晩で50台を盗む。

 

最後の1台は、メンフィスが一度も成功していない、1967年製シェルビーGT500。

 

彼は、「エレノア」と呼んでいた。

 

盗み出すことに成功したものの、キャッスルベック刑事に見付かり、カーチェイスが始まる。

 

最終的には、メンフィス、キャッスルベック刑事にカリートリーが加わって、三つどもえの戦いになる。

 

この作品の見所は、鮮やかな盗みの手口だ。

 

盗難防止装置を付けていても、何の役にも立たないのかと、心配になる。

 

映画だからといえば、そうなのかも知れないが。

 

現実にも、ありそうな気がする。

 

リアリティーが感じられた。

 

 

転校生

大林宣彦監督、尾道三部作の第一作である。

 

中学3年の斉藤一夫は、悪戯好きでクラスの人気者だ。

 

そこに、神戸から女生徒が転校してきた。

 

斉藤一美

 

一夫とは幼なじみである。

 

クラスでね幼い頃の一夫の失敗談を披露して、一夫は恥ずかしくて仕方がない。

 

ある日、ふとした拍子に、二人で神社の階段から転げ落ちた。

 

気がつくと、入れ替わってしまっている。

 

原作「おれがあいつであいつがおれで」は、小六の設定だが、映画は思春期真っ只中の中三。

 

互いの戸惑いや恥じらいが、みずみずしくて素晴らしい。

 

一美役の小林聡美は、撮影当時、高校一年生だったと思う。

 

ショーツ一枚で、胸をあらわにして、恥ずかしかっただろうな。

 

しかし、その根性で、一流の女優に上り詰めた。

 

男女が入れ替わるシチュエーションの先駆けのような映画で、リメイクもされているが、この作品を超える物は無い。

 

アニメ「君の名は」は評価できるが。

 

「転校生」は、大人が観てもドキドキする作品である。

 

これを観てときめかないようなら、感性は干からびてしまっていると言えよう。

スラップ・ショット

ポール・ニューマン主演、アメリカの映画である。

 

主人公レジは、北米プロアイスホッケーチームの選手権コーチだ。

 

チーム名は、「チャールズタウン・チーフス」。

 

マイナーリーグ最下位で、ろくな選手がいない。

 

一人だけ、プリンストン大卒の選手がいるが、夫婦仲が冷えていて、プレーにも影響していた。

 

不況にあえぐ町の工場が閉鎖され、観客が減り、チームの解散が噂された。

 

ある日の試合でラフプレーが観客に受けたため、レジは、これをウリとして人気を獲得しようとした。

 

50歳のポール・ニューマンが、軽快にプレーをこなしている。

 

これが、ハリウッドの俳優魂というものなのだろう。

 

彼を見ているだけでも楽しくなる映画だ。

 

脚本は、一直線である。

 

ラストも、感動的なものではない。

 

というより、変な感じだ。

 

それでも、楽しければいいのである。

 

映画は、娯楽だ。