明治。
大阪、船場の薬問屋・鵙屋 ( もずや ) の次女、お琴は9歳の時に病で失明した。
丁稚の佐助は、13歳の時から奉公に入り、お琴の身の回りの世話をしている。
目の見えないお琴は、三味線と琴の稽古に励み、三味線は名人級の腕になった。
しかし、甘やかされて育てられたため、少々、傲慢だった。
佐助は、お琴に三味線を教えてもらっていた。
夜、一人で三味線の稽古をしていた佐助は、番頭にひどく叱られた。
このことで、お琴は、佐助に店の手伝いをやめさせて、自分の世話に専念させたいと父に申し出た。
父は快諾し、佐助はお琴の使用人になった。
ある日、地震が起きて、怯えているお琴の元に、佐助が真っ先に駆けつけた。
愛を感じた二人は、仲を深めていく。
やがて、お琴の妊娠が発覚した。
お琴は、父親が誰であるかを話そうとせず、疑われた佐助は強く否定した。
子供は、生まれてすぐに里子に出された。
父と師匠が他界した。
二十歳になったお琴は「春琴」と名乗って、三味線の教室を開いた。
習いに来る男衆は、三味線の腕を上げることよりも、お琴の美貌に惹かれてのものだった。
その中の一人、美濃屋利太郎から自宅に教えにきてほしいと懇願された春琴は、佐助を連れて出向いて行った。
その時、利太郎は春琴を襲った。
しかし額に傷を負わされて、彼女に恨みを抱いた。
数日後の夜、何者かが春琴の寝ている部屋に侵入して、彼女の顔に熱湯をかけた。
春琴抄は、何度も映画化されている。
この作品は、のちに夫婦となる二人が演じているからか、一番しっくりくる。
佐助が自らの目を突くシーンは、思い出す度にゾクゾクする。