captainsunday’s blog

ネタバレしないように、思い出に残っている映画を、簡単に解説しています。

ボヘミアン・ラプソディ

イギリス、アメリカ合作の映画である。

 

イギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリストフレディ・マーキュリーの伝記的映画だ。

 

1985年7月、チャリティーコンサート「ライブエイド」会場。

 

フレディ・マーキュリーはステージに向かった。

 

1970年、ロンドン。

 

ペルシャ系移民の青年ファルーク・バルサラは、空港で荷物を積み降ろす仕事をしていた。

 

音楽が好きな彼は、よくライブハウスに出かけていた。

 

そこで「スマイル」というバンドに魅了され、ステージの後、メンバーを訪ねた。

 

素敵な女性が彼らの居場所を教えてくれた。

 

その女性は、のちに彼の婚約者となるメアリー・オースティンだった。

 

彼が裏口に行くと、ギタリストのブライアン・メイと、ドラマーのロジャー・テイラーがいた。

 

ちょうど、ヴォーカル兼ベースが、バンドを抜けたところだった。

 

自らを「フレッド」と自己紹介した彼は、歌を披露し、ヴォーカルに採用された。

 

やがて、ベーシストとしてジョン・ディーコンが加入し、フレッドは「フレディ」に改名した。

 

そして、バンド名もスマイルから「クイーン」になった。

 

ある日、移動中にバンが故障した。

 

これをきっかけにバンを売り払い、できた資金でアルバムを制作した。

 

それがEMIの大物マネージャー、ジョン・リードの目に止まった。

 

BBC放送で披露した彼らの楽曲「キラー・クイーン」が話題になり、クイーンの名が全国に知れ渡った。

 

フレディは、メアリーに婚約指輪を渡してプロポーズした。

 

クイーンは、全米ツアーにも成功した。

 

その後、大作「ボヘミアン・ラプソディ」を製作したが、EMIの重鎮レイ・フォスターは、納得しなかった。

 

6分以上もあってラジオで流せないし、歌詞も気に入らないという理由だ。

 

怒ったメンバーは、契約を破棄した。

 

フレディは、知人がDJを勤めているラジオ番組に出演し、ボヘミアン・ラプソディを流してもらった。

 

マスコミの酷評とは裏腹に、この曲はヒットし、クイーンは世界的に有名になった。

 

この作品は、ラストの「ライブエイド」が、圧巻である。

 

そのコンサートに向かう直前、フレディが父と抱き合う姿は、感動的だ。