プロボクサーである、ジェームズ・J・ブラドッグの伝記映画だ。
1928年11月30日、ジェームズはマディソン・スクエアー・ガーデンのリングに立っていた。
この日の試合に勝利し、10連勝を飾る。
世界チャンピオンも夢ではないところまで来ていた。
また彼は、妻メイと、3人の子供に囲まれ、私生活でも幸福の中にいた。
ところが、1929年、世界恐慌が始まる。
彼自身の怪我もあり、一家は、極貧の生活に転落してしまう。
僅かなファィトマネーで試合に出続けてはいたが、かつての彼ではなかった。
ある日の試合では、右手首を骨折し、あまりに不甲斐なく、ついに無効試合になる。
ファィトマネーはもらえず、その上、プロボクサーのライセンスを剥奪されてしまった。
彼は、港湾労働者として、何とか食いつなぐが、電気を止められ、食べ物もない。
妻のメイは、ついに子供達を親戚に預けてしまった。
長男に、「何があっても、よそに預けたりしない」と約束していた彼は、連邦緊急救済局へ出向き、生活保護を受けた。
さらに、マディソン・スクエアー・ガーデンを訪れ、ボクシングのプロモーター達に援助を申し出る。
これで何とか電気が復活し、子供達を呼び戻すことが出来た。
そんな時、対戦相手が怪我をしたため、世界第2位のグリフィンと対戦することになる。
復帰戦ではなく、一度きりの約束だったが。
1934年6月14日、下馬評を覆し、彼は勝利した。
続くレニー戦にも勝利し、つぎは、世界チャンピオンに挑戦することになった。
チャンピオンのベアは、リングで2人を殺しているという強打の持ち主である。
その頃、港湾労働者の友人マイク・ウイルソンが、共産主義者の暴動で大怪我をして死亡した。
メイは、夫を亡くしたマイクの妻の姿が、脳裏を離れない。
ジェームズが、無事に家に帰ってくることだけが願いだった。
1935年6月13日。
超満員のマディソン・スクエアー・ガーデンで、試合が始まった。
ボクシングシーンは、手に汗握る出来映えだ。
戦う男と、支える妻。
現代の「おさよくさん」には、不愉快な演出かも知れない。
まともな感情を持っている人には、作品に入り込める秀作と感じるだろう。
売れるための三要素、「友情、努力、勝利」が、上手く融合している。