ロバート・デ・ニーロ主演の駄作である。
BSプレミアムでやっていたのを録画して観た。
ロバート・デ・ニーロの名前で、期待していたのだが、当てが外れた。
弁護士が、街でボクシングの興業をしようとして失敗し、撃たれた。
まあ、それだけだ。
ロバート・デ・ニーロには、「危険なオヤジ」役が一番似合う。
悪人である必要は無いが。
ロバート・デ・ニーロ主演の駄作である。
BSプレミアムでやっていたのを録画して観た。
ロバート・デ・ニーロの名前で、期待していたのだが、当てが外れた。
弁護士が、街でボクシングの興業をしようとして失敗し、撃たれた。
まあ、それだけだ。
ロバート・デ・ニーロには、「危険なオヤジ」役が一番似合う。
悪人である必要は無いが。
恋愛映画ではなく、ミステリーである。
原題は「Obsession」で、直訳すれば、強迫観念だ。
こちらの方が、内容に合っている。
当時は、しゃれた邦題を付けるのが流行っていたから、こうなったのだろう。
今、公開されたら「オブセッション」だろう。
さて、内容は、主人公の実業家が、結婚10周年の祝いをした夜、妻と娘を誘拐された。
親友に相談し、警察の指示の元、身代金を支払う。
しかし、警察の失態から、妻と娘が交通事故に遭い、橋から転落して行方不明になり、死亡したことになった。
数年後、亡き妻との思い出の地で、妻にそっくりな女性に出会う。
彼は、結婚を決めるが、彼女もまた誘拐されてしまう。
最初の誘拐事件も含め、全ては仕組まれたものだった。
話にのめり込むと、実に腹立たしい映画である。
裏切り、というのは、最も許し難いものだ。
アメリカ・イギリスの合作映画である。
アフリカの女王といっても、クレオパトラのことではない。
そこで現地人にキリスト教の布教活動していた兄妹に、戦争の知らせが入る。
やがてドイツ兵がきて、現地人を連れ去り、村は焼き払われてしまう。
ショックを受けた兄は、立ち直れず死んでしまう。
そこへ、いつも郵便物を運んでくる船乗りがきて、一緒に逃げることになった。
彼が川を行き来するのに使っているむ船の名前が、「アフリカの女王」号なのだ。
宣教師の妹は、ドイツ人に復讐したい。
そこで、川下の湖に出て、そこにいるドイツ軍艦を、手製の魚雷で攻撃しようということになった。
さまざまな困難を乗り越えて、ついに目的を果たすという映画である。
西洋の映画の特長であるが、この作品も、女性を「愚か」に描いている。
浅はかで、短絡的で、ヒステリックで、感情のみで動いている生き物であるとしている。
西洋人男性の、女性像が、そうなのだ。
いつも、その点が引っかかって仕方がない。
そうでなければ、良い作品なのだが。
アメリカ・イタリアの合作映画である。
主演は、アル・パチーノ。
公開当時、日本ではアル・パシーノと表記されていた、どうでも良いが。
これは、鉄の意志で正義を貫く警察官の話である。
ニューヨーク市警に勤めるセルピコが、銃で撃たれて病院に運ばれたところから物語は始まる。
撃った犯人は、警察官だった。
セルピコは、警察官の不正が許せず、署内で孤立していた。
不正の捜査を要求するセルピコの周りは、敵ばかりである。
アル・パチーノの演技から、執念、気迫、信念などが、ひしひしと伝わってくる。
観ているうちに、完全にその世界に入り込んでしまった。
この映画は、日本のベテランの警察官にこそ、見せてやりたい。
警察学校を卒業した頃の溢れる正義感を、思い出すだろう。
レイ・ブラッドベリ原作のSFである。
紙の使用が禁止され、本が無くなった未来の社会では、人々は思考力の乏しい愚民になってしまった。
テレビの映像でしか情報を得られないので、考えることがない。
たまに、本を持っている人が見つかると、当局から「ファイアマン」が派遣され、焼却してしまう。
主人公は、そのファイアマンを生業としていた。
彼は、本を焼きながらも、疑問を抱く。
そして、妻にそっくりで、本好きの女性と知り合い、読書にのめり込んでいく。
これがきっかけで殺人を犯し、犯罪者として逃げ回ることになった。
華氏451度は、紙が燃える温度である。
私は原作を先に読んでいたので、物語より、映画が制作された当時の人が考えていた未来のイメージの方に関心が向いてしまった。
液晶大画面とか、スマホとか、考えもつかなかったのだろうな。
現代は、過去の人が考えた未来よりも、時代が進んでいる。